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外道無Y
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Posted by naturum at

2011年03月27日

東北関東大震災後

皆様ありがとうございます、外道無Yです

私はそのとき仙台新港の路上でした。
背後地と呼ばれるところです。
強い揺れに、広い場所のほうがいいと思い
地震速報と同時くらいにホームセンターの
駐車場に乗り入れました。
会社の仲間と昼飯を一緒に食った後だったので
3台の車は並んでとまりました。

途中でみんなの顔色が変わるほどの横揺れに
変わりました。
宮城県民、震度5くらいじゃ何とか平静を保てる
はずなのに

53年宮城県沖、宮城県北部、矢本地震と
体験してきた私たちも
かつて体験したことのない揺れでした。
5時から石巻で契約のアポがあったが
無理だと判断した。

上長に
「スンマセン、俺家に行きます!」
「分かった気をつけろ!」
O君(彼の子供が同級生)に
「学校行くぞ!」
「俺、Kさん会社に送ってすぐ追いかけます!」
「了解!じゃ!」

揺れも収まらぬうちに駐車場を飛び出した。

怖かった。
家族を失うのが怖かった。

無神論者の私が神に祈りました。

明らかに余震が感じられたが無視して車を飛ばした。
とにかくすべてを無視しても七ヶ浜にたどり着く
つもりでした。
仙台新港の中を抜け念仏橋を渡る。
車はまだ混んでいなかった。
後で知ったが15分後には大渋滞でそのまま津波に
飲まれた場所だった。

遠目に家が見えはじめると共に、やっと周りが見えてきた。
よくよく考えれば道中、倒壊家屋はほとんど無く
倒壊ブロックや道路の段差が酷いだけでした。
当然、新興住宅街は何事も無く、家のドアを勢いよく
開けました。

「良かった~、うちは大丈夫だよ」
妻の声と三女の姿に安堵し、すぐに
「学校に行ってくる!」と踵を返した。

学校までは2kmほどか
車を飛ばす。
下校途中でないことを祈る。

高台にある学校に着くと、児童は校庭に集められていた。
担任に会い、子供たちを受け取る。
長女も次女もわが手元に来た。
O君の子供も確認したが、親が来ないと引き渡せない
らしい。

僥倖に油断した。
のんびり車を走らせ家に着く。

良かった、家族全員そろった。
タバコを一服しようとしていると勢い良くドアが空き
O君が来た。
「大丈夫ですか?!」
「うちは大丈夫!すぐに学校に行け!」
「分かりました!かみさんいないんで学校かも知れない!」
といって飛び出していきました。

「良かった良かった」
「じゃ、2階見てくるかな」
と、DVDの散乱した階段を上り2階にあがりました。
「布団とかベッドは問題ないよー!」
そんなことどうでもいいことを確認しながら
モノの散乱した子供たちの部屋をやれやれと
見ていると・・・

バチッ!バキッ!バキン!とマキのはぜるような音がする。
なんだ?音量が増してくる?
外だ?!
はっとして窓から外を見ると・・・
家の前を家が流されていった。

※画像は後で撮ったものです

真っ黒にうねる濁流が広がり、見る見る水かさが増してくる。
一瞬凍りついてから1階に向けて叫んだ。
「ジャンパー着て車に乗れ!!」
津波だ・・・津波がきたんだ・・・やっと事実を飲み込んだ。
こんなところまでくるなんて・・・。
でも。これはTVの画面じゃない。
事実だ。

犬とインコと家族を押し込むように乗り込ませ、もう一度
沼を確認する。
もう沼というよりは瓦礫の海になってしまったが、7~8軒の家が
まだ流されてくる。
しかし、先ほどの勢いは無く水かさは増えないように感じた。
家の前の緑道の土留めは下まで7~8m有ったが、今はもう
2mもない位置まで水が来ていた。
家の前が港になってしまった感じだ。
少し冷静になり
「F氏の家に行く」
と、家族を乗せて200mほど離れたF氏の家に向かった。
やつの家は沼は見えないが標高は同じだ。

ドアを開けて叫んだ
「おい!逃げろ!津波が来てるぞ!」
「は~?」
F氏が出てきた。
「何でいるんだよ?!」
「家で昼飯食ってたんだよ」
「とにかく全員車に乗って逃げろ!」
「マジで?!」
「大マジだ!悪ぃ!先に行くわ!」
「どこに?!」
「とりあえず上のロータリー!」

言い残して車を出す。
団地のロータリーにはたくさんの車や人が集まっていました。
すぐそばの義弟の家に行き、義妹に車に乗って非難しろと
伝える。実際、水は義弟の家の三軒下まで来ていた。

F氏がおっつけやってきた。
水は止まったようで皆も少し落ち着いてくる。
F氏は
「地震直後に長男を幼稚園に迎えに行かせた・・・」
と、顔面蒼白になっていた。
「水が引いたら一緒に行こう」
とにかくこの団地は360度水と瓦礫に囲まれてしまった。

津波の2波に気をつけながら、走ってラグレイトを取りに帰る。
レガシィでは缶詰状態だ。ガソリンもあちらは満タンだ。
家からも水やらいろいろ持ち出し、車を乗り換えた。
「どうする?」
「やべ~俺の車燃料ないわ・・・」
とF氏がつぶやく
「非常時だ、ディーゼルなんだから灯油にオイル足して入れとけ」
「大丈夫なのか?」
「脱税以外は・・・」
「壊れたらヤダ」
「好きにすれば・・・」

1時間以上経ち、少しだけ水が引いてきた頃、F氏から朗報。
F氏の子供たちは高台の郵便局に非難していることが分かった。
「迎えに行く」
と言い残し、水が引いてきた道に向かいました。
程なく
「〇マザワ(スーパー)の前もヒデエけど行けた」
と戻ってきた。F氏の長女は消防署勤務なのでしばらく帰って
来れないだろうが、奇蹟的に電話連絡が着いた。
F氏も全員の安否が確認できた。

暗くなってきた。ただ時間だけが流れていた。
悪いものを隠すためか、我々をあざ笑うためか、しんしんと雪が
降ってきて、気温が一気に下がってきた。

F氏と話し合い、町役場に避難することにしました。
この水かさで次の津波がきたら、我が家は間違いなく飲み込まれるだろう。

瓦礫をよけるようにして役場にたどり着き
避難所の駐車場で一夜を明かすことにしました。
避難所の中は、家を失い、家族を目の前で失った人たちの嗚咽が聞こえ
耐えられなかった。
TVのニュースを見ながら、時々鳴り響く緊急地震速報、役場の津波サイレン
におびえながら車の中ですごしました。
ずっとO君のことが気がかりだった。
彼の家(5軒隣)にはいつまでたっても誰も帰ってこなかった。
おそらく通学路の9割は瓦礫の山だろう。
電話もまったく通じない。
俺が・・・行けと言ってしまった
俺が・・・
悔やんだ
俺が・・・

子供たちはのんきなもので、程なく寝息を立てていた。
妻と本当に良かったと喜び合い、タバコを吸おうと外に出た。
外は凍りつく寒さ。ダウンベストのジッパーを締める。

F氏も車を降りてきていた。21時を過ぎた頃だと思う。
サイレンと共に高台から見える光景に絶句した。
東北石油コンビナートが燃え上がっていた。
立ち上がる炎は尋常なものではなく、夜なのに黒々とした
煙が天高く上がっているのが見えた。
地獄絵図だね・・・隣のおばちゃんがつぶやいた。
ニュースでは、関東の被害を伝えるばかりだった。
さらにその後ろ、仙台新港背後地付近にも、赤い炎と
黒い煙が見て取れた。
これでは、救援どころではないと理解した。
尋常ではない被害が予想できた。
仙台市内もダメかもしれない。

0時を過ぎた頃、大きな太鼓のような音が鳴り響いた。
何度も何度も鳴り止むことなく続く。
ついに・・・
コンビナートが爆発しはじめた。
さっきのおばちゃんも車を降りて見に来ていた。
「こんなことが現実に起こるなんて」
情報によると津波の水が引かず消しにいけないそうだ。
たとえ近づいたとしても、それは人の手に負える炎では
ないことが分かりすぎるほど爆発を繰り返していた。
燃え尽きるまで待つしかないだろうな。
周りの誰かがつぶやいた。
自分も、家に帰るとき脇を通ってきたのだ。
津波の浸水で非難できず隣の火力発電所にいるであろう
知人を思いだした。彼の家は流されていた。
家族は非難しているのを確認したが・・・あの炎では・・・。

塩釜も牛生まで水が来たと聞いた。
前は火事。
後ろも水。
周りは海。
瓦礫の山。

七ヶ浜は孤立したように思えた。

朝になると、火は消えていないものの爆発音はやんでいた。
明けはじめた空に、よりいっそう黒い煙が見えた。
8時頃だろうか、駐車場に見慣れた顔を認めて驚いた。
「おとうさん?!」
なんと、妻の父が隣町多賀城から来ていたのだ。
心配でやってきたというが、なんと言うか・・・うれしかった。
水が引いて多賀城からこれるようになったとのことだ。
しかし、高台だけを選ぶルートしか通れない。

子供たちを託し、妻と2人で一度家に向かいました。
片づけをしなければ入れたもんじゃない。
でも家族は無事、家もある。



自分の家の前の光景に、うちの前に船持ってくっか・・・
なんて冗談が思い浮かび、そんなもの流されてるんだと気がついた。
水に浮かぶプロパンガスのボンベから、ガスが噴出す音が無くなって
静かな朝だった。
目の前の家の残骸から布団がポコンと浮いてきて、背筋が凍った。
まだ、たくさんの人がこの水の中にいるんだろう。

最寄の避難所から見える光景は、なんだか冗談と思いたい位だった。
あんなに有った家が、2~3軒しか残っていない。
海水浴でにぎわう菖蒲田浜は、もう砂浜が残っていなかった。
私の担当した物件が2軒有るはずだが、そこには何も認められなかった。
瓦礫、砂泥、たくさんのつぶれた自動車。
海には大量のコンテナとなんだか分からない大量の漂流物。
船の残骸。

家の前の水面にフナが死んで浮いていた。
塩水でやられたのだろう。
その周りを弱々しく泳ぐ魚。
バスのようだ。
じき死んでしまうだろう。

ネクタイをはずしてジーンズに履き替えた。
「俺は家族を失わなかった・・・」






数日後、O君の安否が確認できた。
「紙一重です」
ジョニーとヨサクみたいな台詞をはく彼と再会できた。
彼が学校に着いた瞬間、後方100m位が津波に
飲まれたという。
しかも、奥さんは学校に来ていて彼から学校に向かうと
メールが無ければ帰途に着いていたという。
タイミング的に間違いなく危なかった。
これも運なのだ。

この記事を書いている今日現在、隣町の妻の実家に
非難している。
そこでさえも、まだ水も出ずの状態です。
電気が来たのはありがたかった。

その後、少ないガソリンを工面して顧客をめぐり
県内のあらゆるところに足を運びました。

県南は東部自動車道路が完全に明暗を分けました。

仙台市は港付近は重症
多賀城は半分水没
塩釜、松島は比較的軽症
東名、野蒜、小野はかなり重症
矢本は仙石線の線路より海側は完全水没

石巻は町の半分もって行かれた
残りも水没した区域が多い

女川、牡鹿、雄勝もほぼ全滅
本吉、歌津は瓦礫と化していた
線路すら残っていなかった

気仙沼は半分が持っていかれ火事が重なっていた

志津川は町全体何も残っていないほど。
私のお客様も、災害センター屋上にいたらしい。
最後までアナウンスをしていて津波に飲まれてしまった
女の子のいた災害センターの3階の屋上。
その人は役場で津波対策を担当していた。
30人屋上にいて残ったのは8人。
残った中にはいなかったと知った。
年末、ヤリイカ釣りに行く途中に寄った際お会いして
「また仙台に行ったときお茶のみに寄るから」
といってくれたばかりだった。

また、朝が来た。
薄い河北新報の春秋の記事に目がいった。

避難所では、亡くなった人に悪いからと遠慮や我慢を
しすぎている人たちが多くいる。
とくに女性に多いという。
しかし、助かった命だからこそ、もう我慢をしないで
という内容だった。

助かった命だからこそ

数日後、松ヶ浜漁港を見に行った
折からの強いオフショアで、何もかも沖に行ってしまった
船も残り少なくなってしまい
憎らしいほど静かな海でした




















  

Posted by 外道無Y at 20:34Comments(15)日常的

2011年03月15日

東北関東大震災

東北関東大震災でお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表すると共に、行方不明の皆様の一日も早い救出を心よりお祈りしています。

無事でした。
私は幸運です。
家族が誰も欠けませんでした。
4日目の昨日、隣町の嫁さんの実家にお世話になり、電気のある生活に戻りました。
自宅も奇跡的に流されませんでした。
一面の瓦礫の山。

全てが紙一重。

やっと携帯が機能し始め、ポツリポツリとメールが届く様になりました。

報道はされませんが酷い地域では、避難場の物資不足から本当に略奪や盗難が起きています。
七ヶ浜でさえ車のガソリン狙いの車上荒らしが徘徊しています。

亡くなった人の亡骸に囲まれながら、暴動に近い理不尽な事が起きている地域もあるそうです。

人の心はどこにあるのか


太平洋沿岸は復興に何年かかるか天を仰ぐばかり。

内陸部は、ガソリンがない、買い物がしにくい、程度で温度差が有りすぎます。

水、食料、電気、怪我の治療、この東北寒さのなか暖房なしで過ごしている方々が、マジでたくさん居ます。

七ヶ浜メバルFISHINGは何年後にやれるのか、本当にそんな日が来るのか想像もつきません。
私の体験は、自宅が通電したら落ち着いて報告させて頂きます。

頑張ろう皆!  

Posted by 外道無Y at 22:59Comments(10)日常的