あれから1年

外道無Y

2012年03月11日 00:06

東日本大震災から1年が過ぎました。
震災の被害にあわれた皆様に、心よりお見舞い申し上げるとともに
なくなった皆様に心より哀悼の意を表します。

ありがたいことに、家の前も先月からかたずけが来てくれて少しずつきれいになっています。
ここ1週間、TVは特別番組ばかりですね。どの番組も何だか涙無しには見れないものばかりです。

皆一様に
「私は何をしているんだ、こんな事をしてる場合ではないのではないか?」
という自問自答を口にしながら、各自の仕事をしていました。
私自身もジレンマに苛まれる1年でした。建築の仕事に携わりながら
これも復興だと自分に言い聞かせ、過ごしています。

宮城はだんだん被災の度合いによる温度差が目立ち始めました。
これは仕方の無いことかもしれませんが、仕事柄どちらもお付き合いするので辛いものでした。
被害がひどい人たちはすごく我慢しています。なんでも我先に、という人は誰もいません。
しかし、被害の無い人たちはもう普通の生活で、もう忘れているのです。

私は幸いに被害は無いに等しかった。
ただ、運が良かっただけなのだ。

今回は、遠くの仲間たちにもたくさん助けていただきました。
オプセルの山本社長
淡路の壱号さん海猿日記の実さん
はじめこのブログを見てくださっている皆様にも
たくさんの支援を頂きました。
落ち着いてきた今、お礼に行くにはあまりにも遠く、しかしそんな遠くから
支援を下さった皆様に本当に感謝しています。

私はいまだほとんど海に向かえないでいました。
閑散とした港で、遊びとしての釣りをすることが、罪に思えてならなかったです。
破壊された道路を走り、破壊された防波堤に立つことは、漁師さんたちの目に
どう写るんだろう。
磯をへずったその先に、打ち上げられた網や船や海苔棚、カキ棚は、いったい誰の
生きる糧だったんだろう。
プレジャーボートで繰り出していく光景を、船を失った漁師たちはどう感じるのだろう。

杞憂かも知れない。でもできませんでした。
例年なら、今頃は・・・と思い出しながらも、そのどの場所も壊滅でした。
釣竿をもって、そこの場所に出かけることはできませんでした。

だから、こんなに目の前の海なのに状況はまったくわからないでいます。
シーズン通じて追いかけた、メバルでさえ見てもいません。

渡船は、宝珠丸だけがはじまったと聞いています。
山崎は未定。
黒崎丸も未定。

昨年の震災後の海は、すべて好釣果だったといわれました。

初夏には、網に入ったという黒鯛やスズキを結構頂きました。
夏には養殖棚から逃げ出した、銀鮭フィーバーがありました。
養殖業者は、歯噛みして聞いていたのだろうか。
秋の石巻で、シーバスランカーラッシュを聞きました。
あの石巻で、誰かが釣りをしていたということに驚きました。
悪い意味じゃないですよ、すげー!やってるじゃんって。
ハゼはでかいのばかり、ロックも大物がたくさん釣れたと聞きました。
昨年からパドボで近海を航海(笑)しているF氏が、磯にも結構釣り人
いるぞって教えてくれました。


津波でヘドロが無くなり、海の底は綺麗なんだと聞きました。

1年が過ぎた、海へ向かおう、もういいだろう
いやぜんぜん良くない、1年なんて感傷的なものだけで
何も直っていないんだ

わからない

あんなに好きだった海釣りだもの、毎日イメトレは欠かしませんww
ロッドケースを新調しました
リールを買ってみました
いろいろ買ってみました
でも、実は箱すらも開けてなかった

大きな被害を受けた釣具店での会話
「おれ何していいかわかんねんだ」
「このカゴいっぱい買い物して元気出してください」
「だな、せめて糸はいるしなw」
「いつでもいけるようにw」

もう少ししたら、本物の海を覗き込んでみます。
妄想の海じゃなく、空想の釣りじゃなく。

いつもの生き物たちが迎えてくれるかもしれない。

七ヶ浜メバルFISHINGも、いつか必ずやろう
やります、やらせてください

きっと俺も海釣りしたいんだよね、本当は

やろうぜ、また







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